子どもの頃実家のTVで洋画劇場とかロードショーとか21時からの海外映画がよく流れていた
(一度観ると続きが気になって23時半近くまで寝なくなるまさに夜更かしキッズの完成である
寝ろ寝ろ言うくらいなら最初から流すなと思いながらよく母に背いて最後まで観ていた)
振り返ると物凄く残虐
銃とかで当たり前にしぬし血も飛び散る
恐ろしい生物に食われたり ショッキング
でもそこそこ年齢いく前にその理不尽な物語性を体に通過させたことは重要だったかもしれないと考えている
何故ならそれを知らぬまま大人になるって想像力の点でも頭の視野の世界の価値観的にも今よりずっと入る器の質が違うし中年期に進んで鑑賞してみたいと思えるのかわからないし通過したことない感性を自己の繊細さで壁をつくってしまいそうだからだ
物事のあらましや自己確立する前に自動的に通過させられるのもありなのかもしれない
感性が世間知らずのまま大人になると面白みにかけてしまうのでは…とか、それも偏った意見かもしれないので表現の道に進むならそれなりに必要な通過儀礼なのではということにしておこう
※大学生になったり時間ができて改めて映画鑑賞を趣味にする大人もいるので全ての人とは決めつけていないです
そういうのをこどもに見せるのは教育に悪いとかいうのはその点の捉え方だったかもしれない、それをよしとするか悪とするか(惨虐な表現等も)
アニメ漫画も観すぎると馬鹿になるって言う戦後教育のような考えも
(特にその頃は歴史がある分小説や文学の方がかなり進んでいて大人で複雑なプロットで伏線の張り方、テクニカルなところから激動の時代変化にマッチしていた)
遠回しに制作者側を批判している、
そのアニメ漫画じたいも『子ども向け』を意識してつくられてるものも確かにあるが私達画家以上に社会に向けてのメッセージを組み込んでいたりする
漫画家だって同じ大人が考えてつくる表現なのだから結果私たちよりずっと深く革新的で刺激的だったのだ
(後付けだけど精神病み率高い文筆家に比べたら漫画家の方がよっぽど衛生的な精神の持ち主の大人がつくる作品である)
だから心に残すし文化として代表的な存在にまで駆け上がったのだと思う
時代の変化によるテレビの性表現バラエティに関してとか話がどんどん広がってしまうのでここまでにしておきます…